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御本尊:釈迦如来(しゃかにょらい)

洞泉寺の御本尊は釈迦如来です。本堂の須弥壇(御本尊を安置する台座)の中央にございます。後に釈迦如来(ブッダ)と呼ばれるに至るゴータマ・シッダールタは、紀元前5世紀頃に北インド(現在のネパール)の釈迦族の王子として出生しました。生後すぐに立ち上がり、「天上天下唯我独尊(この命のまま、かけがえのない大切な存在)」と告げたという言い伝えがあります。それほど、後に誰もが尊敬する存在になっていかれました。尚、インドではブッダとは「悟った人」という意味の一般名詞です。ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたため、彼がブッダと呼ばれている訳です。


紀元前13世紀頃よりインドには西洋民族であるアーリア人が侵入しており、当時も釈迦族を含め先住民族は支配を受けていました。老い、病、死の悩みが深かったゴータマ・シッダールタは29歳で出家します。当時、彼には妻子がいました。家族を残した出家は現代では考えづらいことですが、当時は社会的にも認められた行為でした。出家以降、様々な苦行を経て6年間修行しますが悟りは得られません。そこで自ら辿った道を振り返ると、悟りとは王宮での快楽でもなく、修行での苦行でもないと気づきます。ここで、物事が極端な方向に偏らない”中道(ちゅうどう)”という考え方に辿り着きます。要は、物事の丁度良いバランスを保つことです。快楽も苦行も捨て、瞑想に入り始めて7日目。12月8日の明けの明星を仰ぎ見た時、悟りを開かれ、ついにブッダとなります。ゴータマ・ブッダは当時35歳、それから80歳で亡くなるまで、生涯をかけて旅を続け布教に励まれました。そして、現代に至るまでブッダの教え、仏教が脈々と受け継がれています。

脇侍:普賢菩薩(ふげんぼさつ)

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洞泉寺御本尊である釈迦如来の向かって左側に安置されている、普賢菩薩(ふげんぼさつ)です。 まず、菩薩とは菩提薩埵(ぼだいさった)の略称です。菩提とは仏の悟り、薩埵とは人のことです。合わせて、仏の悟りを求める人のことを菩薩と言います。つまり、菩薩とはまだ仏の悟りを開いておらず、悟りを目指して努力している人のことです。

 

普賢菩薩は菩薩の中でも上位の指導者的な立場にあると言われています。 普賢とは読んで字の如く「全てにわたって普く賢い者」という意味で、あらゆる所に現れて命ある者を救おうとする強い慈悲の心を持った菩薩です。繁栄と長寿の御利益があると言われています。 慈悲を表す動物である、象の上に乗っていることが特徴です。釈迦如来の脇侍として向かって左隣に安置され、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と共に釈迦三尊像の一つに数えられます。

脇侍:文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

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洞泉寺御本尊である釈迦如来の向かって右隣に安置されている、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)です。正式名称である文殊師利(もんじゅしり)の略称です。「三人寄れば文殊の知恵(協力することで優れた知恵が生まれる)」という言葉があるように智慧の菩薩であり、学業成就の御利益があるとされています。

詳細は不明ですが、モデルとなった実在人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン出身者だったという記録があります。智慧を表す動物である、獅子(ライオン)の上に乗っていることが特徴です。釈迦如来の脇侍として、向かって右隣に安置され、普賢菩薩(ふげんぼさつ)と共に釈迦三尊像の一つに数えられます。

摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)

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御本尊の右手前に安置されている摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ。以降、”尊者”)です。尊者は実在した釈尊のお弟子さんです。裕福なバラモン家の出身で、家の継承を嘱望され世帯も持ちました。しかし、幼少期から抱いた出家の志を曲げることはなく、師を求めて旅に出ます。各地を巡って旅を続ける中、ニグローダの樹の下に座るゴータマ・ブッダ(釈尊)と出会います。釈尊こそが己が求めていた師であることを確信し、弟子入りします。尊者は釈尊の10歳以上年上だったと言われています。尊者は出家して8日目に悟りを開かれます。

 

尊者は頭陀(ずだ)第一の精神を生涯貫きました。頭陀とは、衣食住への囚われを捨てて、粗末な衣をまとって乞食によって与えられた僅かな食事で生活することです。この非常に真摯な姿勢に、釈尊も絶大な信頼を寄せていたと言われています。生涯をかけて釈尊につき従い、全ての教えを正伝された尊者は、釈尊の亡き後も教団のリーダーを務めました。尊者は説法や弁舌に優れていた訳ではなかったそうですが、確かな修行に裏付けられた存在感に弟子達も信頼を寄せていました。こうして、釈尊の教えが守られていったのです。

阿難陀尊者(あなんだそんじゃ)

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本尊の左手前に安置されている、阿難陀尊者(あなんだそんしゃ。以降、尊者)です。尊者も実在したブッダのお弟子さんです。釈尊が35歳で悟りを開いた歳に生まれたと言われています。釈尊とは互いの父が兄弟である従兄弟関係にありました。使者から弟君に息子が生まれたと報告を受けた釈尊の父が歓喜し、アナンダと名付けたと言われています。アナンダとは歓喜という意味です。

 

尊者は長年釈尊の側近として常に行動を共にしましたので、誰よりも多くの教えを伝えられています。また、非常に記憶力に長けていたと言われています。釈尊は生前に教えを書物に残すことをされませんでした。そのため釈尊の亡き後、教えを確認し合う”結集”という会合が弟子達の中で開かれました。そこでも尊者は非常に活躍します。結集によって編纂された、普く生きとし生けるものが救われるための教えは、実に七千余巻の”一切経”として今日に至るまで伝えられています。

歓喜殿(かんきでん):釈迦如来

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御本尊とは別に釈迦如来を安置している歓喜殿という壇があります。第24世住職大道祖教和尚(だいどうそきょう)は新潟県上越市の在家出身です。若かりし頃、ある占い師に「あなたは南に行けば大成する。」と提言されるものの、「決められた道には行かん。」と真逆の最北端、樺太に渡ります。そして現地で布教活動の末、大正15年に萬籠山 歓喜寺(ばんりゅうざんかんきじ)を建立します。この寺院名は当時の本山永平寺第67世貫首、北野元峰禅師から命名されたものです。しかし、終戦に伴って樺太から引き上げるにあたり、当山を継承するに至りました。その際、歓喜寺の本尊であった釈迦如来を洞泉寺に安置し、歓喜殿と命名しています。

​開山堂:薬師如来(やくしにょらい)

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洞泉寺の開基(初代住職)である量室存應禅師(りょうしつそんおう)を奉り、そして檀家様の位牌を安置する、開山堂という部屋におられる薬師如来です。正式には、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)と呼ばれます。仏教には多様な仏様がおられ、各々に特有の功徳がありますが、それらは釈尊の功徳を具現化するために生み出されてきた側面があります。薬師如来の功徳はその名の通り、病気を治癒し健康を守って下さることで、日本への仏教伝来初期から広く信仰されてきました。  飛鳥時代には聖徳太子が父:用明天皇の病気平癒を願って薬師像を造顕されています。薬師如来をサンスクリット語で表現すると、バーイシャジャグルです。バーイシャジャは医薬、グルは導師の意味です。つまり、薬師如来は医薬の導師という訳です。

右手で施無畏(せむい)という、畏れや不安を取り除くための印を結んでいます。対して、左手で与願(よがん)という、衆生の願いを聞いて成就させるための印を結び、その左手で薬壺を持っています。薬壺には、心身や社会のあらゆる病を治す霊妙な薬が入っていると言われています。

​開山堂:観音菩薩(かんのんぼさつ)

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開山堂にて薬師如来の隣に安置している、観音菩薩です。 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を略して観音菩薩と呼ばれます。般若心経の冒頭にある”観自在菩薩(かんじざいぼさつ)”も、この観音菩薩を指します。普く苦しみ悩む人々の音声を観ると、その場に現れて守ってくれる慈悲の菩薩です。 "観音"と名のついた祭事や地名が存在するように、数ある菩薩の中でも特に私達の生活に深く馴染んだ菩薩と言えます。 観音菩薩を説く経典は多数存在します。法華経の一部にある妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)というお経には、観音菩薩の御利益について具体的に記されています。宗派の枠を越えて、法要で頻繁に唱えられるお経ですので、是非耳を傾けてみて下さい。

​大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)

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須弥壇の右脇に安置されている、大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ。以後、菩薩)です。右手を額にかざし、遠くを眺めた格好をしているのが特徴です。元々は中国の阿育王山(あいくおうざん)に住み、命をかけて海を渡る旅人の安全を守ると信じられてきた神様です。時は鎌倉時代、曹洞宗を開いた道元禅師は中国にて天童如浄禅師(てんどうにょじょう)から尊い教えを正伝された後、日本に帰国する際にもずっと船につき従い、安全を見守っていたと伝えられています。

技術の未発達な当時の航海はまさに命がけです。途中で荒波に遭い、船が沈没する危険性も大いに考えられます。しかし無事帰国出来たことに、菩薩のご加護があってのことと道元禅師は喜ばれました。そのような逸話があり、多くの曹洞宗の寺院では須弥壇の右脇を定位置とし、菩提達磨大師と左右対称に菩薩を土地や伽藍(がらん。寺院の建物のこと)の守り仏として、大切に安置しています。

​菩提達磨大師(ぼだいだるまだいし)

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須弥壇の左脇に安置されている菩提達磨大師(ぼだいだるま。以後、大師)です。”ダルマさんが転んだ”や、めでたい時に筆で目を描いたりと、日本では遊びや縁起物として古くから親しまれてきた存在ですので、そもそも仏教との繋がりを意識されない方もいらっしゃるかもしれません。 大師は約1600年程前、南インドの香至国の第3王子として生まれました。般若多羅大師(はんにゃたらだいし)の弟子として出家した後に中国に渡り、天下第一の名刹と言われる嵩山(すうざん。少林寺拳法でお馴染み、少林寺が建立される山。)に籠ります。そして、来る日も来る日もひたすら座禅を組み続けること9年、ついに悟りを開き中国で禅宗の開祖となります。ダルマさんが赤いのは、大師が座禅を組む時、赤い衣を纏っていたことが由来とされています。

長い間一つのことに辛抱強く専心し成し遂げることの例えとして、”面壁九年(めんぺきくねん)”という言葉がありますが、大師の故事によるものです。また、”七転び八起き”という言葉も、大師の不屈の精神に見立てて生まれました。禅宗の一つに数えられる曹洞宗にも多大な影響を与えた方です。そのため、多くの曹洞宗の寺院では前述のように、大権修理菩薩と左右対称に、大師を須弥壇の左脇を定位置に安置しています。

​尾賓頭盧尊者(おびんずるそんじゃ)

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鐘楼堂(しょうろうどう;鐘つき堂のこと。)の手前に安置されている、"十六羅漢"の一人、尾賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ。以後、尊者)です。羅漢(らかん)とは悟りの境地に達した高僧のことで、十六羅漢は釈尊の弟子の中でも優れた16人の人物で構成された集団です。尊者はとりわけ神通力に長け、集団の筆頭とされていました。 尊者は病気を治す力を持ち、撫でるとその部位の病気が治ると信仰され、”撫で仏”とも呼ばれて親しまれてきました。

尊者はある理由により、本堂の外側に安置されていることと、体が赤いことの2つの特徴があります。ある日、尊者は人前で神通力を見せびらかしてしまい、釈尊より修行僧らしからぬと叱責を受けます。また、無類の酒好きで知られる尊者。修行の妨げとなるため、僧侶の間では飲酒は避けられていましたが、我慢が出来ず全身が真っ赤になるまで飲んでしまいました。再び釈尊より厳しい叱責を受け、本堂の内部に入ることを禁じられます。そして、外に出て人々の病を治し続けるよう命じられました。 その後は痛く反省し、修行に励みます。次第に尊者は生気に満ちて全身が真っ赤になり、自ら率先して本堂の外で人々の救済を続けるようになりました。それが本堂の外にいること、体が赤いことの理由です。私達の身近に寄り添い、常に見守って下さっています。

​韋駄天(いだてん)

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庫裡に安置している韋駄天です。古くはヒンドゥー教の軍神スカンダが前身と言われています。仏教に取り入れられてからは四天王の一人である増長天に従う八将軍の一人として、仏法や伽藍(がらん;寺院の建物)の守り仏として信仰されるようになりました。 ”韋駄天走り”という言葉があるよう、諸天随一の俊足を誇ります。足の速い鬼が釈尊の遺骨、仏舎利(ぶっしゃり)を盗み出した際に、一瞬のうちに1280万キロを駆け抜けて取り返した伝説があります。また、釈尊や修行者のために各地を駆け巡って食物を集めたことから、”ご馳走(ごちそう)”という言葉が出来たと言われています。このように日常の生活の中に溶け込んだ仏と言えます。

武士のような鎧を身にまとい、非常に屈強な体格で躍動感溢れる姿をしていることが特徴です。胸の手前で合掌し、腕に宝剣や宝棒を乗せているのが一般的です。体を張って、盗難や火災除け、身体安全を見守って下さっています。また、曹洞宗大本山永平寺を例に見られるように、厨房に安置されることも多く、厨房守護の御利益もあると言われています。

​閻魔大王(えんまだいおう)

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本堂のつき当たりに安置している、閻魔大王(えんまだいおう)です。人々の生前の行いを取り調べ、亡くなった後にどの世界に送り出すかを審査しています。 来世には、六道(ろくどう)という天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つの世界があると言われます。この六道に行くうちは霊魂が何度も生まれ変わる、輪廻転生(りんねてんしょう)のサイクルの中にいます。上位世界の天道でさえも、死の苦しみから逃れることは出来ません。よって、仏教では輪廻から解き放たれ、苦しみのない世界に行って救われることを目指します。これを解脱(げだつ)と言います。

人が亡くなると、まず現世と来世の間にある、冥土(めいど)という世界を49日間かけて旅をします。7日間ごとに来世に近づいていくのですが、その過程で閻魔大王による審査を受け、向かう先が決められる訳です。 解脱して救われるためには、善行を積むことが求められます。実は閻魔大王は現世の様々な局面に使者を送り、生前から善行に励むことの重要性に気付かせようとされています。閻魔大王と聞くと何だか怖いイメージが強いかもしれませんが、結局のところ私達を救おうとして下さっている方なのです。

曹洞宗では葬儀の中で故人に対して、必ず血脈(けちみゃく)を授与します。血脈とは仏弟子になったことを示す、いわゆる証明書となるものです。仏の教えが弟子へと脈々と受け継がれ、最後に菩提寺住職から故人へと繋がる系譜図のような構成で出来ています。僧侶も出家の際に血脈を授与されます。故人にも同様に仏弟子となって善行に励んで頂き、解脱して救われるようにという思いが込められています。

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